引越し時の家具破損
先日引っ越しをした。
比較的安く、対応の良かったA社にお願いし、当日もテキパキと作業していただいた。
何事もなく完了し、残すは最終確認だけだったのだが、私たちは気付いてしまいました。
家具3点に傷・凹みがあったのだ。
汗だくで働いてもらって申し訳ないと思いつつ、こちらもお金を払っているので、迷わず傷の件を伝えた。
担当の方は、特に言い訳もせず破損の責任を認め、後日賠償の手続きをすることとなり、その日はお引き取りいただいた。
傷があったのは残念だが、賠償してもらえるなら良いか、とその時は納得した。
しかし、その後の対応がなんとも微妙だった。
まず、最初の対応としては「修理します」とのことだった。
だが、よくよく聞いてみると、「修理はするが元の色、形に戻るわけではない」「修理してみないとどのように直るかわからない」「金銭での補償も可能」とのこと。
気に入っている家具だったので、元の色に戻らないのであればあまり意味がない。
憤慨しつつも、金銭補償の場合を確認した。
そこで出てきた金額が摩訶不思議であった。
ここで詳しくは説明しないが、引越業者曰く、減価償却の考え方に則って計算したとのことだが、どう計算してもその額にならない。
明らかに足りないのだ。
こちらも馬鹿ではない。
前提となる補償条件、業者としての保証方針を聞き出した上で、全て再計算して送り返した。
すると、「弊社方針による計算結果です」の一点張りで、計算結果を変えないどころか、計算内容を教えてくれない。
ならば、と簡易的な弁護士相談(無料)の上で、こちらの計算方法が正しいというエビデンスを取り、それを再度送りつけた。
その結果、なぜか補償金額を上げてきた。
だが、これまでの論点だった補償金額の計算方法に関しては無回答のままの上、変更後の金額の根拠についても不明確であった。
間違いを認めたくないだけなのか。
それとも減価償却の考え方を理解できないだけなのか…。
色々と分からないままだったが、この時点である程度妥協できる金額を提示されたので、もうここで話し合いを終わらせることにした。
金で解決というやつである。
その後、送られてきた示談書に印鑑を押して、この件は終了。
お金も無事振り込まれたことを確認した。
なんとも言えないモヤモヤ感を持ったまま終了した本件ではあるが、正直言って今回のことで、関連法律や損害賠償時の算出方法など、色々な知識を学ばせていただいた。
こういうのは実際経験しないと頭に入らないから、そういう意味ではありがたい。
とても勉強になった。
勉強する機会を与えてもらったと思えば、まぁ…悪くないのかもしれない。
そう思うことにしておく。
英会話スクールへ復学
英会話スクールに復学
このたび、悩みに悩んだ上でようやく英語スクールを決めることができた。
なんせ決定するのに半年かかった。
もちろん、ずっと悩んでいたわけではなく、
仕事にあたふたしたり、結婚式を挙げたりしたので頭からすっぽり無くなっていた。
だが、ようやく身の回りが落ち着き始めたここ一ヶ月間で、むくむくと英語学習熱が再燃してきたのである!
「英語話せるようになりたい!」
「英語で仕事してる先輩かっこいい!」
「海外で仕事したい!なんなら留学したい!」
「っていうか、なんか暇!」 ←これが決定打
ちなみに、今から約半年ほど前に書いた記事が以下である。
このときから悩みに悩んでいたが、結局、以前通っていたNCCに復学することにした。
そう、例のスパルタ英会話スクールである。
これでしばらくは暇にならずに済みそうである。
せっかくなので、個人的な観点におけるNCCの良いところを以下に示しておくことにする。
NCC綜合英語学院の良さ
1.ストイックな校風
NCCはとにかくストイックな雰囲気である。
仲良しな雰囲気で英会話をするという感じではなく、
ひたすら文法や単語を叩き込まれ、如何に会話としてアウトプットしていくかにコミットしている。
宿題は多く、一週間の中で多くのことを暗記しなければいけないし、
授業中では暗記チェックだけでなく、それを使って即興で英文作成することが求められる。
インプットとアウトプットを強制される感覚である。
これは個人的な感覚だが、難しいことを考えずにただひたすらインプットとアウトプットに集中するだけである程度実力がついてくるので、ある意味、簡単にレベルアップすると感じる。
なお、教師陣も英語をレベルアップさせることにしか興味がないのか、
無駄な絡みはしてこないし、めちゃくちゃドライである。
英語力だけ上がればいいと考えている人にはぴったりである。
また、ドライさがある意味面白く、教師と生徒がお互い真剣に授業に取り組みすぎるがゆえに、教師の英語でのチャレンジングな問いかけに対し、生徒が素っ頓狂な解答をしたとき(もちろん大真面目に)の、シュールな雰囲気は最高。
笑いを堪えるので精一杯である。
私も過去に通っていたときは、何度も教室を微妙な雰囲気に放り込んだことがあったが、それはそれで面白く、癖になる。
今思い出しても笑える。
2.高コスパ
例えば週1回で1年間のコースにした場合、入学金等を含めて292,680円であるが、1回あたり約3時間の授業をしてくれるので、1時間あたり約2,000円となる。
これだけでもそれなりに安いが、これに加えて補講・電話での質問・ネイティブとの会話・自習室の利用・資格対策など、教師が対応できることに関してすべて無料である。
自分で英文を書いて持っていけば添削してくれるし、電話でも口頭英作文を添削してくれる。モチベーション次第だが、使い倒せば、かなり安くなると感じる。
あとは、教育訓練給付制度を利用すれば、受講料の何%かが変換されるので、条件に合えば利用しない手はない。
3.営業してこない
これも結構重要である。NCCは上記のように高コスパだが、なぜかというと広告や営業にお金をかけておらず、全て教育にお金をかけているかららしく、わけのわからない勧誘とかもしてこないし、テキストを買わせようとしてこない。メールも電話も全然来ない。気楽である。
HPを見ればお金がかかっていないことはよく分かるが、正直、もっとお金をかけてデザイン性を上げたほうがいいような気もする。が、多分生徒が増えたら運営が大変になるのでやらないのかもしれない。
以上、英会話スクールを決めた経緯と、NCCの良いところを書いたが、
別に私はNCCのの回し者ではありません。
誤解しないでいただきたいです!
では。
結婚式準備の苦悩
自身の結婚式を控え、今現在準備中である
結婚相手と時に喧嘩をしながらも、少しでも良いものにしようと毎日思考錯誤している
そんな中、結婚式の準備において最も大変なのは友人を招待するときなのかもしれない、と思うようになったのでその理由を記しておく
招待を考える前に、まず大凡の条件がある
例えば、会場のキャパ、新婦側とのバランス、円卓の適正人数等である
もちろん条件自体を変更することは可能だが、難しいことが多い
では上記の条件の中で、招待したい友人を選ぶのだが、これが精神をすり減らす作業であることは間違いない
選べるだけ友人がいるなんてぜいたくな悩みだ!というのもごもっともな指摘だが、難しいことに変わりはない
一つの友人グループがあるとしても、どこからどこまでを呼んだらいいのかわからない
というより、呼ばなかったら「友人ではないですよ」と言っているようで大変心が痛い
一方で、「この人を呼んだらあの人は必須だよな」といった状況もあり、「あの人」と大して仲良くない場合などは困る
どこに線を引いていいのかさっぱりわからない
しかも、うんうん唸ってようやく導き出した人選にもかかわらず残念ながら欠席が多くなると、もうどうしていいかわからない
中には返答すらない人もいて、今後も友達でいて良いのか迷い始めるなんていう事態に追い込まれる
そもそも、誘われた側は本当に前向きな気持ちで参加してくれているかも不安になり、疑心暗鬼になっていく
楽しいはずの結婚式なのに、自分が友人を取捨選択みたいなことをしている気持ちになって憂鬱になってくる
本末転倒である
結婚式とは、今の自分を作ってくれた人、見守ってくれた人、これからも一緒に生きていきたい人に対し、感謝を伝える場である。
このことを忘れずにいたい
今回人数の関係で呼べなかった人、呼んだが参加できなかった人には是非とも再会して直接お礼を言いたいと心に誓った
「人間の本質」とは何か?
最近ハマっている未来の医療技術関連の書籍で面白い本があったのでレビューする。
Beyond Human 超人類の時代へ 今、医療テクノロジーの最先端で
- 作者: イブ・ヘロルド,佐藤やえ
- 出版社/メーカー: ディスカヴァー・トゥエンティワン
- 発売日: 2017/06/10
- メディア: 単行本
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本書では、コンバージングテクノロジーと言われる多領域技術の集合体のような学問領域の発展によって、人類がアップデートされていく未来が描かれている。
例えば、脳神経インプラントや、血管内を自由に移動するナノロボットなどである。
人類はこれまで、疾患と戦うために治療効果を求め、様々な学問領域を統合することで新しい解決策を生み出し続けているが、その結果として人類が本来の生命体から離れつつあると述べられている。
確かに、身体に大量の人工物を埋め込んで生命を維持している人類は、人類と呼べるのだろうか?本当に生きていると言えるのか?という点は疑問ではある。
そしてこれらの治療技術が身体的能力の強化(エンハンスメント)に応用されたとき、人類の人工的進化は加速するという懸念も紹介されている。
身体的強化の具体例としては、記憶力の強化や、出産前遺伝子操作による身体能力向上などである。
これだけ聞くと、SF世界だと感じがちだが、現にこれに近いことは既に行われている。
一番納得しやすいのは美容整形である。
これは治療でもなんでもなく、エンハンスメントの領域に入る。
もともとは戦争で負傷した兵士の顔面を治療する技術であったようだが、これが一般の美容領域に広がっている。
もっと簡単な例でいうと、コンタクトレンズなどは治療と認識されがちであるが、視力2.0に矯正した場合にはエンハンスメントの領域に入るのではないかと思う。
(また、スマートフォンの普及もエンハンスメントであるという見方もある。体内に埋め込んでいないだけで、常に携帯していることで外部脳の役割を果たしているからだ。)
この例のように、アルツハイマーの治療方法が発見されれば常人の記憶力の強化へ、遺伝子操作による出産前の疾患罹患率低減が可能になれば常人の身体的能力の向上へ、応用される可能性が出てくる。
倫理的に課題があったとしても、技術的に可能となるならば需要の力が強くなるのは当然の流れかもしれない。
このような現状に人類が置かれていることが認識できた時、次なる懸念は「人類の本質とは何か」である。
過度な治療・エンハンスメントによる人工的な進化により、人類が生物学的な進化論のレールから外れてしまったとき(すでに外れつつあるが)、何が本質として変わらずに残るのかということである。
これまで共通認識であった感情、倫理等が、数々の技術変化にも関わらず残っているのであればそれこそが人間の本質であるという議論ができるかもしれないが、
技術によってそれ(感情や欲求、倫理観、意識など)すらも変化するのであれば、その瞬間から我々が人類ではなくなるのかもしれない。
そもそも本質部分が変化したことにどのタイミングで気付けるのか?というのも疑問である。
そして、現時点で人類を人類たらしめている唯一の概念は、「常に改善・向上し続けること」である限り、すなわち上記の変化は止めようもない。
要は、「人類の本質」が人類を人類でないものに変える可能性があるということである。
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この本を読んで、生命倫理というものに強い興味を抱いた。
医療機器産業にはもともと興味を持っていたわけだが、その産業が発展した未来には、必ず上記のような課題にぶつかり、乗り越えてしまうとそれもまた課題となる。
どのように向き合っていくかが非常に重要で、かつ面白い問題であると感じる。
英語スクールの検討
英語の勉強を始めようと思い、いくつかの学校をピックアップしてみた。
いろんな種類の学校があると思うが、今僕が検討している学校については以下の3つにざっくり分類できる。
①資格対策特化型
②短期コーチングスクール型
③英語基礎力養成型
資格対策特化型
僕はTOEFLで点を取ることを目標として設定したいので、この選択肢は一考に値する。
WEB検索するとこの種の学校はすぐに引っかかってくる。例えば、トフルゼミナール、アルプロス、アゴスなどである。
メリットとしては、短期間で高得点を取るために確実に点を取る方法を教えてくれるので、目的が明確な場合は非常に有効だと感じる。
しかし、デメリットとしては、資格対策に力を注ぎすぎるあまり単語や文法のような基礎英語力は後回しになる、もしくは受講者の自習に一任される。これをデメリットと捉えるかどうかは人によるが、僕の場合は点数だけというよりは喋れるようになった結果として点数が欲しいという思いがあるので、少しニーズからずれているように感じる。
あと、それなりに高い。
短期コーチングスクール型
このタイプの学校は最近流行りである。
学校とはいいつつも、授業では英語を教えない。教えるのは英語の勉強の仕方やスケジュール管理手法、モチベーション維持環境の作り方などである。具体的には、プレゼンス、ライザップイングリッシュ、プログリットなどが有名だ。
メリットとして考えられるのは、ここでは目標に合わせた勉強スタイルを提案してもらえるので、ある意味ではオーダーメイドであるという点である。(実際に勉強するのは自分自身であり、自習100%なのだから当たり前なのだが。)また、モチベーション維持の一環でグループを作って勉強進捗を報告したりするので、良き戦友ができるという意味でも有意義かもしれない。加えて、コーチングスクール特有な点だが、一度勉強のやり方を教わってしまえば卒業後も比較的継続しやすい。(もちろん、卒業後のモチベーション維持の方法は考える必要がある。)
デメリットとしては、結局自分でやるので自分では思いつかないような解法や発想は出にくく、ほとんど力技の勉強という印象がある。また、コーチングスクールという性質上、ハイになって勉強に没頭するという「体験そのもの」を売っているという側面もあり、自動的に受講期間は短くなり、日々の負担は極端に重くなる。
また、自分でやるならそこまで高くなくてもいいのではないかと思うが、調べてみると結構高い。これは学習に知識にお金を払っているわけではなく、コンサルや学習体験に対する対価という図式なので、そもそも従来の料金体系とは比較できないからである。
英語基礎力養成型
このタイプは実は意外と少ない。学校として認識しているのはNCCくらいである。英語の文法や単語からみっちり学習するスタイルが特徴的で、短期的集中的なスクールからみると真逆の戦略である。
メリットは、英語の基礎を叩き込んでくれるのでゆっくりだが確実に実力がついていく点だ。学生時代にちゃんと英語を勉強してなかった人にはちょうど良いと感じる。実は以前ここで2年間ほど英語を勉強していたが、ほとんどTOEICの勉強をせずにNCCだけで650から890まで点数が伸びた。おそらく、基礎学習をせずに英会話だけをやっていてもすぐ天井にぶち当たって伸びなくなっていたと思う。
デメリットは、地味な点かも知れない。英会話スクールというと、なんとなくオシャレな印象があるが実力養成タイプはストイックな塾というイメージである。ただ、地味なだけあって安い。
また、NCC以外に同様のスクールを見つけたことがないので、もしあったら教えてもらいたい。
まとめ
調べてみてわかったのだが、ここに挙げた種類以外にもびっくりするくらいたくさんの英会話スクールが存在している。
正直、どれでもいいのではないかと思い始めた。なんでもいいから始めてしまって、それを徹底的にやり込みさえすれば身につくような気がする。
何だかんだで、「英語を習得するのは難しいですよ」と刷り込んでおいて、「うちなら英語が上達します」という謳い文句でビジネスしてるだけなんじゃないか?地道にコツコツやれば英語って上達するんじゃないか?マーケティングに踊らされてるだけなんじゃないか?英会話スクール業界が一丸となって、「英語学習は1人ではできません」という嘘のプロモーションをしてるだけなんじゃないか?
ふと、そんな思考になってしまうくらい、英語スクールはいっぱいある。
今一度、自分の目的と英語学習のやり方について考えてみてから、決定したいと思った。
では。
英語学習を再開したい
英語学習の再開を目論んでいる
3~4年ほど前、つまりWBSに入学する前であるが、僕は英語スクールに通ってひたすら勉強していた。
2年間ほど通っただろうか。
600点台だったTOEICは以下のブログに書いたように800点を超え、その後890点まで到達した。勉強時間はのべ930時間を超えていた。
この結果は達成感もあり、自分の努力に自信が持てたことは本当に大きかった。
しかし、その直後から始まった怒涛のWBS生活により英語学習のことなんてすっかりさっぱり忘れていた。
その結果、グダグダの英語しか喋れず、はるか昔に取得した890点でなんとなく「ちょっと英語できます」みたいな顔して、ごまかしている今の自分がいるのである。
とても恥ずかしい。
これは目指していた自分ではない。
なんとかしたい。
というか、英語で仕事したいし海外勤務したい。なんなら大学院留学もしたい。博士課程とかを海外で挑戦してみたい。
やっぱり英語の勉強がしたい。
でも1人では続かない…
じゃあ、英語スクール行くしかないでしょ!
こんな気持ちの変化で、また改めて英語スクールを物色しているのである。
正直言って非常に短絡的である。
がしかし、「やりたい」と思ってしまったのだから仕方がない。
やりたくて、やれることで、やってもいいことは、やったほうが自分のためである。
英語学習における目標を設定
英語を勉強したい、という思いだけでは流石に長期間続けられるほど大人ではない。
英語スクールに通うとしても、通わずに自宅でやるにしても、がむしゃらにやるだけではモチベーションは上がらない。
やはり適切な目標が必要である。
以前英語学習していたときは「TOEIC800点以上」を目標として掲げていた。なかなか目標に届かず苦労したが、2年以上かかってなんとか達成した時は、普段無表情な僕でも笑顔を炸裂させてしまった。この感動・達成感をもう一度味わいたい。
そこで僕は「TOEFL ibt 100点以上」を目標として設定した。
もともと海外留学にも興味があった僕なのでちょうどいい。海外留学そのものがうまく行かなくても、TOEFL学習の成果は仕事にも生きるので特に無駄にはならない。
なにより、目標として自分的にわかりやすくて目指しやすい。
もしかしたら、目標設定はもっと厳密に検討すべきかもしれない。
しかし、結局のところ、設定した目標が適切かどうかを測るすべはないのではないだろうか。
TOEIC、TOEFLのような資格を目標にするのか、英会話を目標にするのか、はたまた仕事での交渉を目的にするのか、いろいろ設定方法はあると思うが、その目標を達成したときに自分が達成感を得られ、満足できるのであれば最低限目標として機能していると思う。
また、別の観点から言えば、現時点で設定した目標を達成したときに、新たな目標が見つかってしまったら、それはある意味で最高の成果である。
その位置まで行かないと見えない目標もあるのである。多分。
ということで、目標なんて今の興味を起点にして、ざっくり決めればいいのだと思っている。
今後はこの目標を起点に、達成までのプラン立案、英語スクールの選別などを検討してみたいと思う。
では。