記憶に残る日々を。

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「人間の本質」とは何か?

最近ハマっている未来の医療技術関連の書籍で面白い本があったのでレビューする。

 

本書では、コンバージングテクノロジーと言われる多領域技術の集合体のような学問領域の発展によって、人類がアップデートされていく未来が描かれている。

 

例えば、脳神経インプラントや、血管内を自由に移動するナノロボットなどである。

人類はこれまで、疾患と戦うために治療効果を求め、様々な学問領域を統合することで新しい解決策を生み出し続けているが、その結果として人類が本来の生命体から離れつつあると述べられている。

確かに、身体に大量の人工物を埋め込んで生命を維持している人類は、人類と呼べるのだろうか?本当に生きていると言えるのか?という点は疑問ではある。

 

そしてこれらの治療技術が身体的能力の強化(エンハンスメント)に応用されたとき、人類の人工的進化は加速するという懸念も紹介されている。

身体的強化の具体例としては、記憶力の強化や、出産前遺伝子操作による身体能力向上などである。

 

これだけ聞くと、SF世界だと感じがちだが、現にこれに近いことは既に行われている。

一番納得しやすいのは美容整形である。

これは治療でもなんでもなく、エンハンスメントの領域に入る。

もともとは戦争で負傷した兵士の顔面を治療する技術であったようだが、これが一般の美容領域に広がっている。

 

もっと簡単な例でいうと、コンタクトレンズなどは治療と認識されがちであるが、視力2.0に矯正した場合にはエンハンスメントの領域に入るのではないかと思う。

(また、スマートフォンの普及もエンハンスメントであるという見方もある。体内に埋め込んでいないだけで、常に携帯していることで外部脳の役割を果たしているからだ。)

 

この例のように、アルツハイマーの治療方法が発見されれば常人の記憶力の強化へ、遺伝子操作による出産前の疾患罹患率低減が可能になれば常人の身体的能力の向上へ、応用される可能性が出てくる。

倫理的に課題があったとしても、技術的に可能となるならば需要の力が強くなるのは当然の流れかもしれない。

 

 

 

このような現状に人類が置かれていることが認識できた時、次なる懸念は「人類の本質とは何か」である。

過度な治療・エンハンスメントによる人工的な進化により、人類が生物学的な進化論のレールから外れてしまったとき(すでに外れつつあるが)、何が本質として変わらずに残るのかということである。

これまで共通認識であった感情、倫理等が、数々の技術変化にも関わらず残っているのであればそれこそが人間の本質であるという議論ができるかもしれないが、

技術によってそれ(感情や欲求、倫理観、意識など)すらも変化するのであれば、その瞬間から我々が人類ではなくなるのかもしれない。

そもそも本質部分が変化したことにどのタイミングで気付けるのか?というのも疑問である。

 

そして、現時点で人類を人類たらしめている唯一の概念は、「常に改善・向上し続けること」である限り、すなわち上記の変化は止めようもない。

要は、「人類の本質」が人類を人類でないものに変える可能性があるということである。

 

 

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この本を読んで、生命倫理というものに強い興味を抱いた。

医療機器産業にはもともと興味を持っていたわけだが、その産業が発展した未来には、必ず上記のような課題にぶつかり、乗り越えてしまうとそれもまた課題となる。

どのように向き合っていくかが非常に重要で、かつ面白い問題であると感じる。